2005年5月15日の旧制高校創立80周年記念行事のとき、取り壊しになるという理化館の見納めをするつもりだったのだが、すでに跡形もなかった。そこで、大分以前に見に行った理化館の思い出を、記憶をたどって書いてみる。そのときは、ある実験をするために訪ねたのだ。
生物研究会の部室は2階の中央西側にあった。新緑の頃窓から外を見ていたら、外壁のタイルの色や表面の感じが、マッチの擦り板によく似ていることに気づいた。物好きにも軸木でこすってみたら、なんと発火したのである。50年も昔のことである。今になるとあれは夢だったのか?それを確かめようというのだ。
その部屋はなにか教材の置き場のようで、鍵がかかっていた。近隣の部屋にも人けがない。入れてもらえても部室が残っているわけではないので、あきらめて1階に下りた。廊下の南端には裏へ抜けるドアがあり、工作教室への渡り廊下が続いていたのだが、ロックされていた。北端の階段下の暗室は健在だった。ここは私の古戦場である。こみち祭で発光バクテリアの単独展示をやったところだ。何で発光バクテリアなのかというと、生意気にも学校近くの古本屋で買った「微生物の採集と培養」という小さな本のセイで、そこにはイカから発光バクテリアを分離する方法と、純粋培養基の処方が載っていた。この本の著者は中村浩という人なのだが、中学から転入の私はうかつにも、それがどういう人物なのか、何年も気づかなかった。 [中村浩氏は成蹊創立者中村春二氏の長男で微生物学者] それがわかったのは、大学へ入ってからである。中村氏とはいわば同業で、普通なら「中村先生」と言わねばならないところだが、高校でも大学でもスレ違いで、顔を合わせずに終わった。部室の剥製標本棚の引き出しには、マージャンパイの大形のようなさまざまな大きさの木のブロックがたくさんあり、その一面には模様を彫った金属板が張りつけられていた。これもあとで気がついたのだが、それらは凸版の原版だった。彫ってあったのは模様ではなく、さまざまな植物や微生物の図だったのだ。当時は複写機というものがなかったから、教材のプリントは謄写版の原紙に手書きで図を写すのが常道だった。中村先生は原書から印刷用製版の手法でこの原版を作り、手動の活版印刷機で教材のプリントを作ろうとしていたのだと思う。
薬品を買うだけの予算はない。当時は蒸気滅菌器(要するに御飯蒸し)を、トタン板をハンダ付けして自作した時代である。生物職員室で分けてもらうのは、なんだか自尊心が許さない。イカから吊れるくらいだからイカが好きなのだろうと、スルメの煮出し汁を作った。最適濃度などはわかりっこないから、味をみて強からず弱からずの濃さにしてフラスコに入れ、そこへ吊り上げたバクテリアを落としこんだ。
翌日、暗室に入ると真っ暗である。固形培地のコロニーは明るく光っているが、フラスコは光らない。目が慣れてきても、液面がかすかに光っているのが見えるだけだった。失敗とばかり、片づけるつもりでフラスコを動かしたら、突然液全体が「バァーッ」という感じで光りはじめ、室内が照らしだされた。当てずっぽに作ったスルメの培養液は成功だったのだ。いまの子は「感動しました」という単語を、受験作文技術としてやたらに使うが、こういう時にだけ使うためにとっておいた方がよい。こみち祭では、おそるおそる暗室を覗き込む見物人にフラスコを振ってみせ、驚いたり喜んだりしてもらった。この展示はエーコン師の目にとまり、表彰状をいただく余祿があった。この暗室の前に立つと、老敗した培養液のアンモニア臭とスルメのにおいが混じって、鼻にくるような錯覚におそわれた。
外へ出て建物の南側に廻る。ここには花壇とガラス温室があって、生物部員の遊び場だった。朝礼のとき「花壇を荒らさないでください」と何度か呼びかけたおぼえがあるが、具体的に花の手入れをした記憶はない。大きな鉢を地面に埋め込んで水を張った、今でいうビオトープがあり、モノアラガイやミジンコやヒドラが住んでいた。小さなクヌギが1本生えていて、季節になるとカナブンやヒョウモンやススメバチ、カブトムシなどが樹液を吸いに集まっていた。ときにはオオムラサキやクワガタもやってきた。当時はカブトムシに値段が付くような末世ではなく、敗戦直後で物質的には不足だったが、われわれはよき時代に生きていたのだ。温室の鉄骨の隙間にスズバチ(鈴蜂)が大きな泥の巣を作り、シム公(志村保彦)がこれを観察して、記録を部誌に書いた。ドナ久保(久保盛唯)はガラス窓の開閉を支える鉄棒をねじ切り(手で!彼は柔道部)、苦心惨憺して曲げたり削ったりしたあげく、木登り用のアイゼンを発明した。もっとも、よほど用心してもふくらはぎをブスリとやりかねない代物だったが・・・ 。ここもわれわれの古戦場である。
建物の裏に廻ってみたが、見上げる元の部室はあまり感慨が湧かず、実験をやる気にならない。仕方なく正面にもどり、入口あたりでやることにした。壁のアシナガバチの巣をいたずらして、怒ったハチにシム公が刺されたのはこのあたりだ。
いい歳をした男が、ビルの壁をマッチでこする図などは、他人には見られたくない。西部劇ではあるまいし・・・ 。人通りの途絶えるのを待つ。この点大学は、学生がしょっちゅうウロウロしているので都合が悪い。いまどきの人間はマッチになじみがない人が多いが、私は部活動の採集会以来、マッチは必携品としてリュックサックのポケットに忍ばせている。もう箱が壊れてバラバラだが、当時はまだなかったポリ袋のおかげで乾燥状態は申し分ない。1本取り出し、もう一度あたりを見回したあげく、タイルにこすってみた。火がつかない・・・ 。何度やっても同じだった。タイルの表面はやけにスベスベしていて、昔の感触とは違っており、何か塗ってあるようだった。そういえば今回見た本館もずい分白っぽくて、往年の色感はなかった。かくして私のセンチメンタルな実験は失敗に終わり、理化館の取り壊しと共に、少年時代の思い出におさらばすることになったのである。誰か同じことをやった人はいないだろうか?
[成蹊会誌:271-273(2005)を加筆修正]
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