山崎敬さんの思い出

In memory of Dr.Takashi Yamazakis

2007年2月2日、急性心筋梗塞のため亡くなられた。ずい分以前からペースメーカーを装着し、身体障害者1級のパスを持っておられたが、あるとき西武秩父線に1人で乗っているのに偶然お遭いした。「武甲山の麓の植物園を見に行く」と言っておられた。「これがあるとどこでも行ける」と、パスを見せてくれた。

私が植物学教室に入ったとき、山崎さんは助手になったばかりだった。東大植物学教室は全員で構成される「教室会議」で運営され、学生までが人事の1票を持っていた。当然のことに会議は頻繁に開かれ、議論は錯綜した。一方全学の職員組合も活発で、公務員のゼネストなどが計画された時代である。山崎さんはこのどちらにおいても、細胞学の佐藤七郎氏と共に有力な論客だった。私のような日和見のノンポリでも正論かつ穏当と思われることを堂々と主張した。しかし最後は投票なので、多勢に無勢という局面も少なくなかったが…。後年の彼の無口ぶりからは想像できまい。ところが研究室では、そういう議論を聞かされたことはなかった。「普通の新聞には出ていないことが書いてある」とアカハタを講読していたが、自分の主義主張を他人にまで感染させようとするそぶりは全く見せなかった。分子生物学や実験分類学が導入され始めた頃で、「どちらが本質的か」という議論をしたがる若手に、いろんなレベルにおける研究の必要性を穏やかに主張していた。

山崎さんの業績で、是非とも記憶にとどめてほしいことは、ハーバリウムマウンターの定員化である。当時は高度経済成長のただ中で、臨時職員(いわゆる常勤的非常勤)を数年間自分の部局の経費で雇い続けると、定員化できる制度があるということを、山崎さんは聞き出してきた。彼は本田正次教授を説得して、分類研究室の予算をこれに振り向け、続けざまに2人のマウンターを定員化した。植物学教室の研究費の配分は研究室制度を採用しており、講座に配分された予算を御破算にして研究室に配分し直していたのである。だからこの2人の定員化までの5・6年は、分類研究室の研究費は、教授を含めてたいへん厳しいものだった。たとえば標本室の殺虫は外注するわけにゆかず、窓をグリースで密閉したうえ、片手で標本棚の扉を開きながら如露でクロルピクリンを後ずさりしながら撒き、如露を放り出して逃げ出してから入口のドアを閉めてグリースを塗るという、決死の覚悟を要した。開放するときには、屋上から1箇所だけロックしてない窓につないであるロープを引いて窓を開け、あらかじめセットしてあった手製の大扇風機でガスを排出してから、おそるおそるドアを開けて入室した。当分の間はハーバリウムに入るとポロポロ涙が出たし、うっかり標本棚の扉を開けたら、溜まっていたガスに襲われて逃げ出すこともあった。ハーバリウムの窓やドアの縁は、グリースがきれいにとれず、いつもべタついていた。これも山崎さんと後述の松田氏の開発した手法である。

わが国の公的ハーバリウムで、マウンターが定員化されたのはこの事例だけだろう。ところが1970年代に教室の組織変えで分類研が植物園へ移ることになったとき、「定削対象者数のバランスが悪くなる」という理由で、分類研はこのマウンタ一をはじめ3名の研究補助員のすべてを、他の研究室に配置換えされて失ってしまった。ハーバリウムの仕事が教室内部でさえ理解されず、ここでも多勢に無勢だった。ご自分が苦労してかち取った定員のマウンターが、単なる雑役としてよその研究室に山分けされるのを見なければならなかった山崎さんは、さぞくやしい思いをしたことだろう。

私が分類研究室に入った頃、山岳部出身の山崎さんは南アルプスのフロラ調査に熱を入れていて、生化学研究室にいたクライマーの松田弘明氏と組んで、年に何度も山へ入っていた。当時はまだ山小屋は整備されておらず、バスも奥地まで入らず、テントと全期間の食料を背負って歩かねばならなかった。原 寛先生がヒマラヤ調査を企画したとき、全く知らない土地へ調査に行くことについての装備計画に大いに役立ったのは、この2人の経験と知識だった。

山崎さんの植物学上の業績としては、ゴマノハグサ科の分類が第一に挙げられるが、とくに胚発生の面から系統関係を追求した点がユニークである。発生途上の胚の連続切片を作って断面を合成し、生育過程を解釈するという、おそろしく辛抱強い仕事である。胚発生の研究はその後もたくさんの分類群について手を広げ、その知見が現代生物学大系(中山書店)に生かされている。もう1つの仕事としては、生態系の調査が挙げられる。1950年中頃、内地留学した宇都宮大学の薄井 宏氏に触発されて、植生調査を行うようになり、いくつかの植生タイプを発表している。しかしその後のドイツ流の植物社会学的調査の隆盛によって、今では忘れ去られてしまった。小石川植物園で出会って結婚した冨佐子夫人とは、自宅でたくさんの植物を栽培しながら観察を続け、その結果がツツジ属のレビジョンとして刊行されている。

東大のハーバリウムが本郷と小石川に分割されてからは、定年後も専ら小石川に通って、未整理標本の配架を1人黙々と続けておられた。地味な分類学の中でも最も地味なハーバリウムの維持に、人知れず力を注いでいた山崎さんだった。ご夫妻の意思で葬儀は行われなかった。

[植物研究雑誌82(6):361-362(2007)]

『金井弘夫著作集 植物・探検・書評』コンテンツ一覧目次(青字)をクリックすると、各文をご覧いただけます

書籍詳細

『金井弘夫著作集』
金井弘夫著作集 植物・探検・書評
元・国立科学博物館 金井弘夫 著
菊判 / 上製 / 904頁/ 定価15,715円(本体14,286+税)/ ISBN978-4-900358-62-1
注文する残部僅少[2008/09/30]
花の美術館|掲載一覧
Aboc 会社案内
記事と活動の記録 採録・Aboc Works 自然史オリジナルコンテンツ Aboc Museum
出版物への声をお聞かせください
花の名前を教えあう「はなせんせ」& 日本最大級のWeb植物辞典「花ペディア」
大船フラワーセンター
営業日カレンダー
Calendar Loading

=休業日

土曜・日曜・祝日・GW休暇・夏季休暇・冬季休暇(年末年始)

Aboc 会社案内
記事と活動の記録 採録・Aboc Works
自然史オリジナルコンテンツ Aboc Museum
出版物への声をお聞かせください
花の名前を教えあう「はなせんせ」& 日本最大級のWeb植物辞典「花ペディア」
大船フラワーセンター
営業日カレンダー
Calendar Loading

=休業日

土曜・日曜・祝日・GW休暇・夏季休暇・冬季休暇(年末年始)

SPマーク SPLマーク ISO9001 認証取得ロゴ
  • (一社)日本公園施設業協会会員
  • SP・SPL表示認定企業
  • ISO9001認証取得企業

アボック社は(一社)日本公園施設業協会の審査を経て「公園施設/遊具の安全に関する規準JPFA-SP-S:2024 」に準拠した安全な公園施設の設計・製造・販売・施工・点検・修繕を行う企業として認定されています。