里見さんと知り合ったのは古い。私が院生だった1950年代の終わり頃、彼はもう助手だった。学会のついでに金沢大学の標本を見せてもらいに行った。その頃私は、日本種子植物分布図集のために、標本のデータを集めていたのだ。学会があってもそっちへはほとんど顔を出さず、専ら標本を見るのに時間を費やしていたのである。里見さんは標本室まで連れて行ってくれて、標本の並び方と扱い方を教えてくれると、消えてしまった。学会の世話で忙しかったのだろう。夕方になって帰るつもりで彼の部屋へあいさつに行くと、そのまま町へ連れ出された。行った先は飲み屋で、「正宗先生です」と紹介された。先生行きつけの店だったようだ。別に打ち合わせてそうしたわけではないらしい。この時間にあそこに行けば、正宗先生が来ておられるとわかっていたようだ。
私は付き合いぎらいなので、里見さんとは永い顔見知りだが、とくに親しくするようなことはなかった。里見さんはそんなことに頓着なく、私が金沢に行けば、なにかと世話をやいてくれた。普通植物分布調査を石川県でやった時には、里見さんに協力者を紹介してもらった。その頃また標本を見に行ったことがある。何かの都合で夜行列車で金沢に着き、駅近くのビジネスホテルに入っていたら、10時頃里見さんがやって来た。大学へ行くのだからわざわざ迎えに来なくても…と思ったが、連れて行かれたのは彼の自宅だった。先ず玄関先の校章のコレクションを見せられた。彼の自宅は小さな博物館のようだった。2階に通されると布団が敷いてあり、「あんたは夜行で来て疲れているのだから、一眠りしろ」と言われた。そんな習慣はなかったので面食らったが、とにかく横になったら本当に眠ってしまった。起こされたのは昼過ぎである。それから昼飯をご馳走になったのだが、何を食べたのか覚えていない。というのは、押入れとばかり思っていた襖を里見さんが開けると、そこは釣瓶になっていて、下にいる奥さんが作る料理がスルスルと上がってくるのに目を奪われていたからだ。里見さんは私と話しを続けていて、なにも指図をしないのに、料理がタイミングよく上がってくるのである。忍者屋敷のようだった。結局、奥さんにはお目にかかれなかったし、声も聞けなかった。
それから大学へ行って標本を見た。夜は分布調査の協力者を含めて、里見さんが一席設けてくれたのだが、不思議なことに彼は早々に消えてしまった。よほど用事の多い人なのだなと思った。それなのに家に呼んで昼寝の世話までしてくれるのだから、時間はいくらあっても足りなかっただろう。
帰ってから、里見さんが持っていないという、私の卒業校の徽章を進呈した。私の母校の名は中国の古典の一句に由来し、それにちなんで校章には桃の実と葉がデザインされている。ところがこれを学校指定の店に買いに行ったら、おいそれとは出してもらえなかった。現役の生徒ならともかく、いい歳のオジサンでは、何に使われるか不安らしい。実際、同窓生と称して寸借詐欺をはたらく輩もいて、そのネタの1つが校章なのだそうだ。むかしの教師のあだ名を3つ4つ持ち出して(1つではまだ信用してもらえなかった)、やっと手に入れた。里見さんはそんないきさつは知らない。わが母校の校章は、里見コレクションの中に納まっているはずである。
[植物地理分類研究50(2):119(2002)]
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