このところ毎年、自然環境系の専門学校の実習で長野県飯綱山麓に出かけて、植物観察の指導をやる。私の観察会は「名前を覚えるのはどうでもよい。まず植物とつきあってみろ」というものだ。「名前というものは、次のデートの約束をするときに必要かもしれないが、会ってしまえば「キミ」とか「ワタシ」とかの代名詞で付き合うものだ。植物も「コレ」とか「アレ」とかでしばらくつき合えば、名前は自然に頭に入る。それよりは相手がどんな性格(形質)かを見きわめておかないと、先行き後悔することになる。」と、自分の体験を踏まえてお説教をする。学生さんは高校出が半数、大学出や就職後のUターン組が半数である。この頃の学校では生物は暗記もののようで、顕微鏡で細胞を見たことのある者は50人に一人程度(それも固定標本)、動物の解剖をやったことのある者もそのくらいで、生物の授業は聞いたことがないという者も少なくない。文科系のムード派が多いのである。だから植物自体の説明は後回しにして、「匂いをかいでみろ」「味をみてみろ」「葉をちぎってみろ」と言うのだが、そもそも「葉をちぎる」にはどうやればよいかから指南しなければならない。
Arisaemaは、はなしのタネが非常に豊富である。花序があれば、それだけで優に1時間はなしができる。花がなくても鳥足状複葉のこと、偽茎のこと、地下茎と塊茎のこと、収縮根のこと…と話していると、彼らはくたびれてへたり込んでしまう。学生さんがすぐにしゃがみ込むクセがあるのには驚かされる。駅頭でみる遠足の集団やTVでみる全校集会では、たいていしゃがむか腰を下させている。教師としては、その方がコントロールし易いからだろう。だから話を聞くときに、平気で姿勢を崩す習性が身についてしまったようだ。コンビニ前の若者がその象徴だ。「あれは家畜を飼うやり方だ。命令されもしないのにモンキースタイルを演じて、相手から見おろされる姿勢を自らとればケイベツされるゾ。プライドの問題だから(こういう形而上学的なことは理解不能らしいが)、こっちと対等に立ってろ。とくに外国へ出たら気をつけろ。」と言うことにしている。マムシグサの「味」は、眠気ざましにちょうどよい。
はじめのうちは加減がわからず、タップリ賞味させて口内や唇に水ぶくれを作らせたりした。近頃は爪の先ほどの量を配給し、一斉に口に入れることにしている。男女平等である。「決してうまいものではない。言うにいわれぬ味というのがコレである。舌の中央にのせるだけにして(舌先は敏感だから)賞味はしないこと。味がわかったらすぐ吐き出せ。」という忠告つきである。口に入れて10秒ほどは、誰も何も感じない。「甘味がある」とか「シャリシャリする(これは忠告にもかかわらず噛んだため)」とか、一応楽しんでいる。が、突然悲鳴と共に一斉に吐き出す。あとは水をガブ飲みの狂宴である。「味」がわかるまでの時間は人によってかなり差があるが、いくら鈍感な者でも30秒が限度である。水を飲んだからといって「味」が薄まることはなく、半日ほどその感覚が続く。これを経験した学生は「まさに一期一会の味!(=二度と食べないゾという決意。)来年の学生にも是非とも味わせてやってほしい。」というわけで、わが校の「伝統行事」になってしまった。実習は小グループに分けて6回やるので、その都度味見の手本を示すのはいくら率先垂範でも自虐的だから、私は口頭指示にとどめている。
マムシグサの塊茎の「味」は、「強烈」という以外何とも形容のしようがない。グルメ漫画の作者に尋ねてみたいものだ。味ではなくて物理的感覚(「痛い」を微分したような)と言う方がよかろう。野草同人にもぜひ一度は体験してもらいたいものだ。西表島でクワズイモの葉をかじってみたら、少し弱いが同じ「味」がした。組織の中にシュウ酸石灰の針状結晶がたくさんあるので、それが舌に突き刺さるのだろうという人がある。理化学辞典によれば、シュウ酸石灰はきわめて水に溶けにくいというから、結晶自体が味の元ではあるまい。でも突き刺さるには、相応の運動エネルギーが与えられなければならない。唾液の中に針晶が泳いでいるだけでは、突き刺さるはずがないのだ。「針晶を含む細胞が浸透圧の差で膨潤破裂したときの勢いで刺さるのかも…」との説を唱える人もいる。口に入れてから「味」を感じるまでに10秒ほどかかるという点や、水を飲んでも「味」が薄まらず、「味」の位置が固定されていることなどが、この説をもっともらしく感じさせる。そこでささやかな実験をした。
あの「味」が針晶が突き刺さった結果ならば、結晶をなくしてしまえば「味」はしなくなる筈である。生の塊茎をスライスして、ポン酢に1週間漬けてみた。これでシュウ酸石灰は溶けただろう。この物質が強酸に溶けることはわかっているが、食酢が有効かどうか、本当は知らない。これを水洗したら、ちょうど蕪の一夜漬のような舌触り(かなりザラザラするが)になり、あの「味」はなくなっていた。これをゆでたら、うまくはないが食べるのに差し支えはなかった。一方、スライスの残りはそのまま風乾しておいた。これは漢方の天南星にあたり、去痰鎮痙剤である。これをなめてみたが、あの「味」はしなかった。干物では針晶があったとしても、突き刺さるエネルギーはないだろう。後のやり方は、それから粉にしてアルカリ処理してコンニャクを作る過程である。前のように酸で処理すると、コンニャクにはならないということだ。
とにかくあの「味」をとり除くことはできた。資源植物事典によれば、八丈島のヘンゴダマは、塊茎をゆでて餅状にして食べる(美味)とのことで、細胞を殺してしまえば「味」はしなくなるようだ。それともヘンゴダマは、元々この「味」を持たないのだろうか?そういえば、ネパールでチベット系の人達が、Arisaemaの塊茎をたくさん採集しているのを見た。用途をたずねたら食用とのことだった。でもいつも食べるものではないらしい。次の機会には、塊茎をゆでてみよう。飯綱山麓の住人のはなしでは、熊がこの塊茎を常時食べるということだ。あの「味」をどうやって回避するのだろうか? Arisaemaを有毒としている図鑑は多いが、この「味」の故ならば再考を要する。
けれどもなぜ「味」が発生するのかは、この実験ではわからない。細胞が死んでしまっているからだ。といって、切片を作って顕微鏡下でながめても、細胞が破裂するところなどはそんなに都合よく目にすることはできまい。細胞壁にキチンと囲まれていれば破裂する筈はなく、破裂を見たければ、遊離細胞を取り出すというテクニックがどうしても必要になる。ただし遊離細胞では、破裂するときの圧力は知れたものだろう。誰かやってみませんか?まさかクラゲのような刺胞があるとは思えないし、シダの胞子嚢のような弾発機構もなさそうである。
サトイモやトロロイモで唇を腫らす人もいる。これらは調理済みのものなので、針晶や浸透圧とはまた違った原因があるのかもしれない。というよりは、こんな粗っぽいはなしではなく、もっとデリケートな人種の問題である。
[野草67(500):18-20(2001)]
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