大学へ入ったのは1949年、新制の最初である。その年だか翌年、全学ストがあった。鉄道運賃の学生割引率の引下げかなんか、今にして思えば他愛のない理由だが、秋の試験の最中に駒場の正門に学生がスクラムを組み、機動隊がそれを突破する騒ぎだった。
建物の入口も学生が封鎖していたので、スト権に関するクラス討論会が何度も芝生で開かれた。その中で特異な発言をする学生がいた。「自分は学生がストライキをやるのは誤っていると思う。したがってストの討議に参加できない。だから自治会を脱会する。」というのだ。「学生自治会は全員参加のクローズドショップだから、脱会したら学生をやめなければならない。」とおどしをかけられても、「それでも脱会する。」とつっぱねる。とは言っても立ち去るわけではなく、そのまま議論を聞いている。スト論議が終わって委員選挙だの待遇改善などのはなしになると、彼はおもむろに「この議題は学生自治会にふさわしいので、入会します。」とのたまう。さりとてカンカンガクガクの議論をするわけではなく、そんなことを言わなければ存在がわからないほどのカスミ方である。彼はこうしてストの間、自治会を出たり入ったりしていた。こういう人は修身の成績が良かったのだろうなと思った。その杓子定規ぶりというか几帳面さは、「訓導」という単語を連想させた。
私は教養学部の単位をとり損なって落第し、1年遅れで理学部植物に進んだ。そして本郷へ来てから1年以上もたってから、形態研究室の原襄さんがあの「訓導」だったことに、突然気づいたのである。あの時まじめに単位を取っていたら農学部へ進むことになり、このはなしは書けなかったはずである。だがその後、原さんが「訓導」ぶりを発揮するところは見ていない。数日だったが、彼の材料採りにつきあって大雪山へ行ったときも、ごく普通のふるまいで、むしろ飄々とした印象でビールが好きな男だった。「原寛博士追悼の記」の彼の文章がそれである。
1989年のある晩、彼から電話をもらった。「植物学用語集の形と型の使い方が誤っているので、増訂版の発売はとりやめるべきである!」電話のむこうで彼が眉をつり上げているのが感じられた。文部省学術用語集植物学編の形と型の使い分けには改めるべき点があり、増補改訂の作業中、彼はそれを繰り返し主張していた。だがこの問題は複数の学会の公式の調整会議と国語審議会の審議を必要とし、当時の動・植物学会だけの議論ではどうにもならなかったのである。彼は植物学会と文部省の最終調整段階に期待をかけていたようだが、それが叶わなかったと知って、最終調整に加わった私に噛みついたのだった。これからも、「形」の文字を見るたびに、原襄さんのことを思い出すことだろう。
[1998年6月10日記:未発表]
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