野草368号(1979年)- 373号(1980年)に、「誰でも利用できる標本のために」と題して同じことを書いた。当時はまだワープロというものがなかったので、ラベル作りの手段としてゴム活字だのタイプライターだの簡易印刷機だの、今からみればまことにダサイ手段しか示すことができなかった。今日ではワープロを使わない人は、珍しい人種に属するようになったから、「ラベル作りにワープロを使え」などと、わざわざ言う必要はあるまい。ただ、記入する項目については、もう一度念を押しておくのも無駄ではなかろう。
産地、位置、採集年月日、採集者、採集番号である。採集番号は無くても問題は少ない。植物名は無くてもよいし、誤って記されていても一向かまわない。産地には県名が必要である。その他の行政区画名は、時代が変ればどんどん変化するので、大した重要性はない。大字や小字名の方が残りやすいから重要である。「位置」というのは前の記事にはなかったが、今ではかなり認識が深まったと思う。というのは、いろんなメッシュシステムを取り入れることが、流行するようになったからである。ただし、どんなシステムのメッシュコードなのかが、そのラベル1枚から理解できることが必要である。こうなると、私が以前に提唱したLocality Indexというものも、落第である。東経何度何分、北緯何度何分という記述しか、おすすめできない。もっと「精密に」記録したければ、秒まで記せばよい。これは地図を読めばわかる。地図を読めなくても、後述する手段で知ることができる。最近では、分布図を作ることが植物誌研究に当たり前みたいになってきたので、位置を落とすわけに行かなくなってきた。
年は西暦であり、月と日は考えなくても区別できるように記してほしい。採集者名は「俺の標本だから」といって書かなければ、そういう「俺の標本」がいろいろ集まったときには、誰の標本かわからなくなることを認識してもらいたい。そのときには「俺」はこの世に存在していないのだから。
地名人名などの固有名詞には、ふりがなかローマ字をつけてもらいたい。
これらの記述は「ラベル」にされておし葉と共にあるものであって、おし葉のカバー上に記されたものは問題外である。その理由は最後に述べる。
ところで「位置」の記録には、GPSという手法で、地図と関係なく経緯度を知ることができるようになった。この機械は人工衛星を捉えて現在位置を表示するもので、船や自動車のナビゲーションシステムとして実用化されており、きわめて正確に経緯度を与えてくれるばかりか、高度も示してくれる。大きくても弁当箱くらい、小さいものなら大きめの電卓なみで、値段は12-15万円から安いものは5万円台である。操作はボタンを押すだけでよい。これを利用すれば、「わが県植物誌の記録メッシュにどのシステムを採用すべきか」などという、不毛の議論をする必要はなくなる。ただしこれは採集の現場には使えても、すでにおし葉になった標本の産地の「位置」を調べることはできない。この目的には、私が作った日本地名索引(1/20万図準拠)、新日本地名索引(1/2. 5万図準拠)が役立つ。これで産地の70%程度は、位置がわかると思う。本をめくるのが面倒という人は、これをデータベース検索すればよい。そういう形のも頒布もしている。
最後に、なぜこういうことを再び書いたかというと、新しい技術に合わせるためでもあるが、老齢に達した諸先輩の所蔵品の処置がいよいよ深刻な段階に来ている実例に最近いくつも出会ったからである。標本というものは過去の自然の唯一の実体で、それ無くしては過去の自然を再び手にすることはできない。だからこそ標本を保存する必要があるのだ。一方、わが国の標本室では、いかに担当研究者が声をからしても、そういうことについての公的認識が残念ながら皆無で、何の役に立つかわからない標本を、とにかく取り込んで100年でもそのまましまっておくようなことができるところは無いといってよい。たとえ取り込んだとしても、ラベルのない標本を一々調べてラベルを作るというような、手間ひまをかける人手や時間の余裕をもつ機関は無い。だから「ラベルの入っていない標本は捨てる」と、やむをえず言うところさえある。しまったまま何年もたてば、部屋の模様替えや荷物の移動にともなって、始めは一体であったコレクションもバラバラになってゆく。箱やしばった紐に名前が書いてあっても、いつかちぎれたりかすれたり裸にされたりして、なんだかわからなくなってしまう。おし葉1枚ずつにラベルがついていれば、たとえ1枚になっても、その標本はマウントされて標本棚に納まるチャンスに出会うだろう。いかに丹念に記録した台帳も、役には立たない。だから、まだ体力のある間に、自分の標本にラベルを入れるという作業を、ぜひやっておいてもらいたいのである。どんな形でもよい、上記の項目を備えた紙片が入っていることが、折角の採集品を後続の人達に遺す要諦なのである。
[野草60(459):149-150(1994)]
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